2011.3.11

2011.3.11 想像を絶する大地震、大津波が起きまして、東北地方を中心に甚大な被害が起きました。
被害を受けられた方心よりお見舞いを申し上げます。
また支援をされている国内外問わずの方々の連帯感はとても目頭が熱くなります。


当時の地震の日は、とても長い一日でした。少し振り返っています。

3/11 9:00 商談

3/11 12:00 - 14:00 後輩とインド料理を食べる。そして、東京の事務所へ。

3/11 14:45 東京の事務所のパソコンの前にいて、揺れ始める。「久しぶりの地震だな」と悠長に構えていたが、
揺れが長く、激しくなる。生涯震度3しか経験していなく、これが震度5の揺れかと地震の怖さを実感。とりあえず、外に出る。他のビルの人も外に出始めて、騒然とする。近くのビルがあり得ないくらい揺れている。
汐留の高層ビル群も揺れてる。

3/11 15:00 揺れが収まり、事務所に戻る。また揺れてる。パソコンを眺めてると気分が悪くなる。揺れが収まってもまだ頭の中では振動の感覚が残ってる。

3/11 16:00 18:00に江東区の会社でアポがあるので、浜松町の会社から早めに会社に出る。案の定、東京のJRとメトロは全て止まってた。歩道には人が溢れてる。お台場から煙が上がってるのが見える。サイレンの音が響く。 

3/11 18:00 浜松町から歩いて、およそ2時間。だが、先方の会社に連絡しようとするが携帯が通じない。何年ぶりか公衆電話を使う。結局、商談はなしになる。

3/11 18:30  歩き疲れたので、近くのカフェか定食屋に入ろうとするが、どこも長蛇の列。諦めて、20:00 新橋の飲み会会場へと向かう。 

3/11 -21:00 門前仲町→木場→月島→銀座→有楽町→新橋 と歩く。人が溢れすぎ。携帯の充電が切れたので、コンビニで充電器を買おうとするが、全て売り切れ。その頃すでにカップ麺やパンも品切れ状態。 

3/11 21:30 新橋の飲み会会場に到着。歩き疲れた・・

3/11 24:00 電車の再開の見通しがたたないことが判明。仕方なく、カラオケへ。 

3/12 1:00-5:00 カラオケ。友人が携帯の充電器を持っていたので、携帯を充電する。

3/12 5:00 - 山手線が7:00から動き出すということで、仕方なく会社の事務所に戻る。

3/12 7:00 - 電車がまだ動いていなく、一部動いていても3−5割しかなく、駅が大混乱しているので、まだ待つ。

3/12 -9:00 友人が買ってきらカップラーメンを食べながら、ネットを見て、津波の被害が尋常ではないことと、海外からの安否を気遣うメールが来てて、ただ事ではないと今更ながら気づく。

3/12 11:00 ようやく、京浜東北線に乗り、ホテルに戻り、荷物をピック。品川駅に。

3/12 - 15:00 普通なら取れる新幹線がいっぱいで取れない。最速で取れた15:00のこだまで名古屋まで帰ることに。
人で溢れかえってる品川駅の隅っこで体操座りで眠りに落ちる・・・

3/12 18:00 名古屋駅到着

3/12 19:00 家に無事到着。家族の安否確認。


以上ですが、これ以上に大変な思いをされた方はたくさんいる訳で、まだマシな方だと思ってます。
あとで、You Tube津波の様子を見ましたが、本当に恐ろしいですね・・・
普段サーフィンをやっているので、いかに波のパワーの威力がすごいかは少しはわかってるつもりですが、
頭以上の波は、本当に人間の力がいかに無力かがよくわかります。それが10Mの波なんて・・・

あと、この大地震が首都で起こったら、日本の経済、政治、輸送、交通機能が本当にマヒしてしまうような気がします。震度5でこの混乱ぶり。東京は電車が止まれば本当に全てがマヒです。

津波の対策、原発に対しての議論、首都の交通網の脆さ、色々と考えさせられる今回の災害です。